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2008年08月27日

虫の音が・・・

昨日までの、しとしと雨が嘘のよう、今日はからりと晴れました。空気が乾燥していて
とっても気持ちが良いです。それ程忙しくなかったのですが、しっかりとお仕事してきました。

日が落ちて、ご飯を食べて帰る道すがら、気がつくと虫の音に気がつきました。
・・・めっきり秋です・・。

<日中国交正常化>
不在通知の郵便物を取りに、郵便局に行ったところ日中国交正常化記念の、切手シートがありました。オリンピック終了後の中国はどうなるのでしょうか?
切手

2008年05月13日

四川省

中国の四川省で、大きな地震があったよう。四川省と言えば三国志の劉備が治めた、蜀の国のあったところ。秦の時代には流刑の地とされたり、日中戦争下では、蒋介石が南京から政府を疎開した場所。要するに、山奥のまた山奥といった所。一方で、黄河流域とは異なる、長江流域の文化が紀元前2000年以前から始まったことが近年、明らかにされていたりもする。

開発の進んだ中国沿岸部に較べ、内陸部は発展が遅れている。チベット問題でも紛争が起こった地区、何とか救助の手が入って欲しいと願うばかりです。

2008年04月24日

春の雨・・・・

お陰様で体調は、マァマァです。今日は歯医者に行って、苦しんできました・・・汗。

雨ですね・・・、でもふと気がつくと、雨なのに寒くないんですよね、むしろ空気に
湿気が含まれていて、何か新鮮な感じがします。
けど、職場にあった、八重桜はこの雨で 花びらをすっかり散らしてしまいました。
地面を覆った花びらは まるで絨毯のよう。 こんな時は、花びらを掃き集めて
花供養でもしましょうかね?  昔読んだ中国の小説の中に そんな描写がありました


ふとこの出典が気になり、あれこれ検索掛けてみたら。
>(花びらは)水に流しても人家にまで流れれば、汚物と一緒になってしまう。
>それよりは掃き集めて花塚を作り、土に返し、美しかった花の醜い姿を晒さぬようにしたい。
というのが原文でした・・・。「紅楼夢物語より

桜供養

2007年12月08日

北京ヴァイオリン  息子の自立

土曜日だというのに相変わらずお仕事です。まぁ午前中だけでおおむね終わりましたので、午後は少しゆっくとしながら。夕方は近くの名画座に。ここの所、中国映画を立て続けに上映しています。今日は以前から見たいと思っていた映画が上映しているので。


無学で貧乏ではあるが、息子の成功だけを願いに、ひたすら毎日働いている父親。そんな父親の愛を一身に受けた息子は、思春期を迎え、自分にとっての父親の意味というものを初めて理解する物語。


父一人息子一人、場末の料理屋の料理人の父親は、一人息子のヴァイオリンの成功だけが唯一の願い。日頃の念願が叶って、北京でのコンクールに出場が認められる。花の都の北京でさまざまな人との出会いがある。素直な性格の息子は、周囲の人からも愛されながら、良い先生からの指導も受けることができ、めきめきとヴァイオリンの腕も上達していく。

しかしその一方で、額に汗して自分のために毎日働いていてくれる父親との距離感を感じ始める。そんな折も折、先生から国際コンクール国内予選への推薦をもらうこととなる。同じ先生の元で一緒にレッスンを受けていた生徒との確執、父親の願いとは裏腹に、ますます開いていく父との距離。そんな中で、息子は自分の本当の幸せはどこにあるかを、自分で理解して決断することとなる。


なんかここの所、中国映画を立て続けに見ています。良い映画だけを配給し、しかも名画座となってのリバイバルなので、外れは無いのがあたりまえと言えばあたりまえなのですが。中国映画、ベタで良いです。真っ正面から、人間の心を描き出してくれています。

#なんか、今電話が入って、職場の後輩が、明日の当番を代わって欲しいとのこと・・・。結構頑張っている後輩なので、協力してあげなくてはならないところ。明日はこもって、ちょっとまとまったことをする予定だったんだけどな・・・

2007年11月25日

山の郵便配達 -父の人生-

永年勤め上げた郵便配達の仕事を、今日を最後に、息子に引き継ぐ父親の物語。

一度仕事に出ると、数日間、長いときには数ヶ月も家を空け、山奥を回りながら、郵便を配る配達人。仕事一筋、しばしば家を空け、息子との関係も疎遠になりがち。父親の仕事を継ぐことになった息子へと、仕事引き継ぎの最後の配達に出かける。

無口な父親と、父親の仕事のことを何も知らなかった息子。父親の配達先で、父親と地域の人たちとの交流を通し、その苦労と、仕事の価値を感じ取る。そしてとりもなおさず父親の人生そのものであることを知る。

何しろ美しかったのが、湖南省の自然。照葉樹林文化などと言われ、日本との共通することが言われる、中国南部ですが、中国にこんなにも自然の美しいところがあるとは驚かされた。中国北部では歴史上早くから、木々は伐採されつくし、埃まみれの風景が印象がある。けど、南船北馬と言いますが、南部は自然が豊かなのですね。

#有る方のプレビューを拝見していて。原題の「那山 那人 那狗」の「山 人 狗」の中国語の発音が「1声 2声 3声」であることに気づいた。そうね・・・「あの山、あの人、そしてあの犬」犬の前に、ワンクッション置いて訳したりすると 良い感じかも。

那山那人那狗

2007年11月14日

北京の恋 四郎探母

11月14日は埼玉県民の日、と言うわけで今日はお休みでした。ここの所、ようやくお休みがとれるのでほっと一息。来週も祝日があるので、忙しくなる12月を前に、少し英気を養っておかなくては・・・w。今日は少し用事を足しながら、おきまりの映画鑑賞。「北京の恋」という映画。久しぶりの中国映画なのでちょっとわくわくしながら銀座まで。(マイナーな映画なので上映館がほんのわずか)映画館もいつもの、東銀座のシネパトス。銀座にありながら、「場末」的な感じが非常に気に入っています。

中国の伝統芸能「京劇」に興味を持った日本人の女の子が、現地に飛び込み京劇を勉強していくなかで、日本と中国の間に今なお存在する、不幸な歴史に気づいていくという物語。

全編を流れる京劇の音楽、舞台芸術。べったりと京劇でした。学生時代に少しだけ中国語をかじったことがある私にとっては、あの中国語発音がなんとも懐かしく耳に入ってきました。映画としては少しぎくしゃくしたところがあり、ストーリーの展開などちょっと気になりました。ただ、中国に興味を持っている者にとっては、京劇が今なお生活の中に存在することを知らされましたし、北京生活もかいま見ることができ、楽しめましたが。いずれにせよ、日本と中国の間の不幸な歴史は、日本人であれば知っておかなくてはならないこと。それを中国人の立場から描いてくれた作品と言えると思います。


ちょっとびっくりしたのが、日中戦争時代の描写で、日本兵が中国人を虐殺し餃子の中に入れるという所。これは中国的だなと思いました。日本人は人を食べるという習慣がまずありません。一方中国では、文学作品の中に時々、人を食べるという描写が出てきます。カニバリズムというのだそうですが、他の国の人は分かりませんが、どうも中国には時々そういう事があるようです。

<牡蠣>
ちょっと夕食は牡蠣を食べました。「つばめグリル」というレストランなのですが、この時期は北海道から牡蠣を空輸しているとか。形は不揃いですが、丸ごと出してくれます。殻をこじ開けながら、そのまま食べるのがなんとも美味しいです。
牡蠣

2006年12月23日

冬至ですね

お陰様で、体調は戻ってきました。 気がつくと冬至だったのですね。

一年の間で一番昼間が短い日、クリスマスもヨーロッパの一地方の冬至のお祭りが、キリスト教と結びついたものであるとか。知り合いのニュージーランド人が、「この時期のドイツは良いよ」と言っていました。ドイツは非常に雰囲気があり、降り積もる雪の中で厳かなクリスマスを迎えるとか。そういえば、クリスマスツリーを考案したのは、マルティンルターだったかな?もみの木がイスラエルにあるわけないし。

お隣の中国では、冬至の日から毎日梅の花の花びらを書く習慣があったと聞きます。丸い花びらを一枚ずつ書いていき、八十一枚の花びらの梅の花が完成すると春がやってくるのだそうです。「九九消寒図」と読んだようです。ひときわ寒い中国の春を待つ風流な習慣です。(と言うのを聞いていたのですが、調べてみると、色々な「消寒図」があったようです。こんなのとかこんなのの様です。)

地球上の大気が冷やされるのはもう少しかかり、一番寒い時期は二ヶ月ほど遅れてやってきます。本当に寒いのはこれからです。皆様ご自愛ください。

2006年10月05日

明日は、中秋節

ここの所、雨が降り続きますね。これじゃあ運動会もままならないな~ぁと空を眺めていましたら、「*心と秋の空」って言葉もありますが、まだ秋の長雨のシーズンなんですね。カラリと晴れるのは、もう少し先なのでしょう。

今年は10月6日が旧暦の「中秋節」なのだそうです。確かに9月ではまだ夏の暑さが残っており、秋という感じではないですよね。古くから中国では、家族・親戚どおしで、「中秋節」に色々と贈り物をしたのだそうです。清の時代の「北京年中行事記」という書物には次のように書いてある。

中秋になると貴族豪富の家家では皆、月餅や果物類を互いに贈答する。十五夜の満月ともなれば瓜や果物を庭に陳列して着きに供え、同時に枝豆と鶏頭花をも捧げる。是時皓皓たる満月は中空にかかり、雲は始めて散ずるのだ。人々は杯を献じ盃を洗い互いに酒盛りをする。子供たちは騒騒しくはしゃぎまわる。真に謂う通りの佳節である。「北京年中行事記」(岩波文庫)

この日には、月を愛でながら、「月餅」などを贈答しあう習慣があり、今でも続いているようである。ちょっとネットを調べてみたら、どうも近年ではすごいことになっているようで。月餅におまけとして家が付いてくるとか。商売精神の旺盛な彼の地であるということ以上に、お役人社会という側面も大きいのかもしれませんね。

まあ、そんなかの地のご事情はさておき、この時期横浜の中華街などを訪ねると、どこのお店も、店頭に、そのお店独自の「月餅」が並んでいます。大きさも・中身もさまざま、なじみがない日本人にとっては、何が何だかよく分かりませんが。結構どこのお店の物を買ってもおいしいです。まあ、お値段もそれなりにいたしますが。シーズン物なので、あれこれ選びながら買うのも楽しいです。

といいながら、私の住んでいるところから、中華街までは遠いので、ちょっと行けそうにもありませんが。都内の、中国系のお店でも、「月餅」を見ることが出来るかもしれません。もしよろしければご探索ください。

2006-cyusyu.jpg

2006年10月01日

クレヨンしんちゃん と 登録商標

中国では 日本で作った クレヨンしんちゃんのグッツを販売することは 違法になったらしい。

 中国でも人気の高い漫画「クレヨンしんちゃん」の商標を中国企業が登録し、中国国内でキャラクターグッズの販売ができなくなったとして、出版元の双葉社(東京)が商標登録取り消しを求めた訴訟について、北京市第一中級人民法院(地裁)は30日までに、訴えを退ける判決を下した。 FujiSankei Business
とのこと、日本人としてはなんとも納得のいかないところであるが、国際的なルールとしては、中国側には問題がないらしい。登録商標には先願性の原則があり、それを先にやらなかった日本側に落ち度があるとか。ここいらへんは「ウォーカービジネスオンライン」が詳しい。

くしくも、今日は中華人民共和国の国慶節である、いわゆる建国記念日。1949年中国共産党が 国家成立を宣言した日。毛沢東主席が、天安門の上で、「中華人民共和国今天成立了」と高らかに宣言した日である。湖南省訛りの強い彼の中国語は、後の北京語を基準とした政策後に中国語を学んだ者にとっては、ズウズウ弁にしか聞こえないところが悲しいところであるが。

抗日戦線に勝利し、国民党との戦いにも勝利し、ようやく手に入れた中国の統一。左右に微妙に揺れながら、改革開放を推し進めている中国。国際社会の一員としての地位を確立したいところであろうが、貧富の格差の極端な拡大、それに対して不満を抱く民衆への弾圧。毛沢東がなしえた統一をこのまま維持していけるのだろうか

毛沢東(サーチナ&CNSPHOTO)

2006年05月14日

漢字じゃなきゃ、ダメですか?w

たまたま、ブログを検索していて、興味あるブログを発見。インターネット検索サービスのgoogleが自社の漢字名を発表したとの記事に対する、技術屋さんのブログ
> なぜ、中国語が必要なのだろう?
> 中国人にとっては英語はポピュラーなものではないのだろうか?
> (中略)
> Googleがわざわざ中国名を考える必要があったことには興味が尽きない。
とのこと。非常に日本語の特徴を表した発想なので、目にとまってしまった。

というのも、日本語はいろいろな面で特徴を持っている言語である。その中でも、表記するときの文字の種類が多いというのも、その特徴の一つである。外国人が日本語を学習するときに障壁になるのが、その表記の種類の多さなのだそうだ。あまりぴんと来なかったが、外国人に言わせると、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」があり、非常に難しいのだそうだ。「ひらがな」だけを修得しても、ほとんどの日本の文章はまだ読むことができない、のだそうだ。


日本人は、鎌倉以降、漢字仮名交じり文という文体を完成させ、現代人はあまり意識しないで使っている。しかし、こういった複雑な表記法は、あまり世界では例がないと聞く。


今回の中国の問題だが、中国では、「表音文字」が存在しない。日本語の「ひらがな」「カタカナ」にあたる文字である。なので、外国語を輸入する際に非常に苦労している。有名な例では、「コカコーラ → 可口可楽」「ミニスカート → 迷イ尓裙(イ尓=1文字であなたを意味する、裙=スカートの意味)」。口に楽しいコカコーラ、あなたを迷わせるスカートと、言い得て妙なのである。しかし、こういったようにうまく訳せるものはいいが、必ずしもそうではない。人名などはどうしても漢字にしてしまうと、意味を持ってしまうので良いか悪いかは微妙である。ただ、その努力の結果のためか、中国の新聞などで、いわゆる「横文字(中国の新聞は横組みであるのだが)」はあまり紙面の中には多くない。それが共産党の意向であるのか、ただでさえ文盲率の低くない中国人民を意識したものであるかはよく分からないが。


PC関係の用語なども、すべて漢字に直さないと使えないのであるから大変である。台湾や香港あたりでどこかの新聞記者が音訳したものの内、最も適当なものを少し時間をおいて定着したと考えたら、北京の「人民日報」でさりげなく取り上げられて、それが、「大本営発表」となる。やはやなんとも大変である。

2006年05月05日

嗚呼、中国よ

日本にとって、近くて遠い国と呼ばれる中国。日本が国としての体をなして以来、2千年にわたり絶えず影響を受けてきた国。しかし近代に入り、欧米諸国の経済的な発展に後れを取り、ここ200年ほどは、国の政治・経済に渡り、改革に苦労している。

学生時代に少し中国のことを勉強したこともあり、私にとっても大事な国であるのだが、昨今の政治の混乱状態は目を覆うものがある。中国共産党の一党支配のもと、改革開放に力を入れてきたが、そもそも共産主義であるところからして、改革開放にも自ずから限界がある。

いくら自由化したところでいつ揺り戻しが来るのか、文化大革命・天安門事件を経験している人たちにとっては、冷や冷やものであるだろう。毛沢東主席の下で、百花斉放が華を開き、自由化への道をたどるかと見せたが、それもつかの間、反右派闘争が始まり、後には文化大革命へと続いてしまう。

現在の経済自由化も果たしてどこまで自由化の道が続くものか?大都市への富の集中は果てしない経済格差を生み、内陸部の農村・少数民族の不満は、日を追って激しいものとなっていいる。共産党は何とか北京オリンピックを成し遂げて、世界の中の一員としての地位を確保したいところであろうが。果たして、北京オリンピックが終わった後、現在の経済自由化がどうなるのか?地方の紛争は止めることは出来るのか?

私の愛する作家「老舎」に描かれた、古い北京は、改革の波の中でその原形をとどめないと聞いている。しかし、あの4千年の伝統に培われた文化は、いつかその芽を再び出すことは分かっている。したたかな中国人は、口では「共産党」と言っているが、そんなものは信じていない。政治さえ安定すれば、あの豊かな中国文化はいつか華を開く。いつの日か、老舎・聊斎志異・紅楼夢、の世界が中国を再び覆うことを夢見ながら、もう少し待ちましょう。