エヴァンゲリオン劇場新版 <自我の芽生え>
今日は日曜日のお仕事の代わりに、お休みをいただきました。アキバを回って、映画を・・・。ちょうど公開されたばかりの「エヴァンゲリオン」を見てきました。
両親の望むことに精一杯取り組もうという幼年時代を過ぎ、青年は自我に芽生える。芽生えた自我は、必ずしも両親の望みとは一致しないことに悩む、一人の青年の自立への物語。
思想界にも広く波紋を投げかけた、アニメ「エヴァンゲリオン」がこのほど劇場版がリメイクされた。ロボットアニメと言った表面的な物とは異なり、その内容の難解さは、見る人にさまざまな見方を提供してくれた。ただ、私にとっては、当初より見方は一つであった。ロボットアニメに仮託した「作者の私小説」。
主人公の「碇シンジ」君は、ロボットアニメの定番、突然人類の希望を背負わされた場面に投げ込まれる。「何で僕だけ・・」の言葉をつぶやきながら、いたい気のない少年は、必至に背負わされた責任を全うしようとする。私的には、中学受験・塾通い・**教室通いの、中高生の姿がダブってしかたがない。「本人が行きたがっているのですよね・・」の母親の期待を背に受け、果たして本当に本人は本人の意思で通っているのだろうか?母親の喜ぶ顔だけを胸に、芽生え始めてきた自我を、押し殺してはいないだろうか?
気がついてみると、この手のアニメの定番的な主題かもしれない。「ガンダム」でも、主人公は両親の影を引きずって、そこから独り立ちしようとすることが、大きなテーマとなっていないだろうか?(最終的には、両親以外の仲間を見いだし、その中に自分の存在価値を見いだしていく事になるのだが。)
小学生から高校生あたりの日本人が、自我に芽生え両親から自立していくという過程を、主人公の視点から描いている「私小説」的な作品と言っても良いのではないだろうか?(濃厚なラブシーンもないし、シンジ君の保護者的な「みさと」さんは、シンジ君にとっては、彼女というより母親的な色彩が濃い。ここいらへんの、設定はたぶん原作者の実体験が反映されているのではないかと、想像する)
しかし今回の劇場新版では、最後の場面で、どうも敵対する、「他者」が現れそう。もし、そうだとすると、「シンジ」君にとっては、両親と自分自身という、観点以外が現れることとなる。果たして、この「他者」はシンジ君にどの様な試練を与えてくれるのだろうか?次作が期待される。
<ザコン>
アキバのザコン、閉店です。なんとも感慨深いです・・。それにしても、アキバの変貌も目を覆うばかりです。何というか・・、去勢されてしまったというか、スッキリさせられてしまったというか・・。
