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2006年05月26日

クルマ・・・車・・・レガシー

実家にいた頃はほとんど縁の無かった車だが、今の職場になってから、車はなくてはならない存在となった。今使っている車で、3台目。一度乗り始めると、長く乗るのが性分である。1台目はトヨタであった、FFのスプリンター。スキーに狂っていた時期であり、冬場の週末と言えば、とにかく雪の上にいたかった。スパイクタイヤを履いたスプリンターはよく走った。

特に不満はなかったのであるが、10年乗ってしまったので、新しく代えたのは、スバルのインプレッサ。4駆のスバルらしく、よく走ってくれた。スタッドレスさえ履いていれば、どこでも走ってくれた。ただ、FFと4駆の違いも実感させてくれた。

そして、現在はスバルではいつか欲しいと思っていたレガシー。スキー場ではいつも見かけるレガシー。ワールドカップのオフィシャルの車としていつも画面に映っていた。ただ、雪の上に行く時間も減り、購入したのは、ワゴンではなくセダン、しかも3L、全くの予想外。荷物をラゲージにたっぷり積み、板をキャリアに積み、地吹雪の中を疾走することをイメージしていたのだが。

昨シーズンは、とうとう雪の上に行くことはなかった。何十年ぶりのことだろう?しかし、この一年レガシーセダンは、よく走ってくれた。いくら走っても運転していて疲れることがない。特に長距離走るときは顕著である。高速道路を、これでもかと飛ばしても、しっかりとした足回りは、しっとりとハンドルをトレースしてくれる。ナビからの音楽も静かに車内を満たしてくれる。

少し忙しかった仕事も、今年は一息つけそうだ。この冬はレガシーを雪の上に持って行けるかな?

2006年05月24日

ダ・ヴィンチ・コード  そして宗教

だめ・・・まったく分からなかった。まあ雰囲気のある作品であることは分かったが。

分からなかった原因の分析だが、たぶん、長い原作をあまりにコンパクトにしたために、原作を知らない人にとっては分かりづらいものになっていたのでは?

あと、やはりキリスト教に対する、基本的な知識の不足。キリスト教国においてはたぶん基本的なことでることが私には分かっていなかったのでは?

と考えてみた。たぶんこれが、日本神話に関することだったら少しは下敷きがあるので、私にも何とかなりそうな気がした。天孫降臨とか国津神・天津神など、要するにそれくらいマニアックなキリスト教に対する知識が必要な、映画である気がした。

以前ニューズウィークでアメリカがいかに宗教的な国であるかを分析していた記事があった。縦軸に自由主義・封建主義をとり、横軸に宗教的・非宗教的といったマトリクスに、世界の国をプロットしていた。日本は、非宗教・自由の位置にプロットされていた、北朝鮮などは非宗教・封建に、アラブ諸国は宗教・封建にプロットされていて、まあそんなものかという感じ。目を引いたのが、アメリカの位置撮りである。自由であることはもっともだが、宗教的であるとプロットされていた、しかも、イラクなどの国々と同じくらいの横軸からの距離。

何となくアメリカの精神的な基盤がどこにあるかが分かった気がした。それ以来、911などを見ても、主義主張の戦いであるというより、宗教戦争的面が見えてくるようになった。

そんな風に考えてくると、この作品のキリスト教への取り扱いを巡って、大きな波紋を呼んだことももっともなことなのだろう。いくらフィクションといっても、しゃれにならないと言うところなのだろうか?

2006年05月22日

ヒバリ 【雲雀】

久しぶりのからりと晴れた日曜日、午前中はアパートでぼーっと過ごし、昼ぐらいになると部屋もさすがに暑くなり、表に出ることに。あちらこちらをブラブラとし、何もこんな日にとも思ったが、職場で仕事を2時間ほど。夕方になり、職場を出ると、少し西に傾いた日の光の中で、懸命にさえずっている鳥がいた。

ああ、ヒバリだ。と思いながら、ちょうど車が信号待ちで止まったので、窓を全開にし、顔を乗り出して見てみると、畑の空に一心に羽根を羽ばたかせながら、さえずっている様子。

小さい頃に、父親から「ヒバリは、河原に巣を作るけど、飛び立つときは巣から離れて飛び立つんだよ。けどね、降りてくるときはえさを持っているから、子供にえさを与えたい一心で巣の近くに降りてしまうんだ」と聞かされていた。

どうも調べていくと、その逆で、降りてくるときは巣の遠くに降りるようである。父親から聞いたことを私が間違って聞き取ったのか、父親が間違えて伝えたのは定かではない。けれど、あの頃父親も小さな私の子育てをしながら、ヒバリと自分とを重ね合わせていたのだろうか?

例年なら3月の下旬にこういったヒバリを見るものだが、今年は春が遅いのだろうか?といいながら、昨日の気温は7月上旬の気温だったとのこと。

ヒバリについて触れているサイトがあった。
古く日本ではヒバリを取ってきて育てる習慣があったのだ、何とも優雅な。清の時代の中国では小鳥やコオロギを飼う習慣があったが、日本でも江戸時代など少しそういった事があったような話を聞いたことがある、ヒバリを育てる習慣があったのだね。「揚げひばり」「台切り」か、風流な言葉だ。

2006年05月17日

歓びを歌にのせて   スウェーデン映画

スウェーデンという国は、私の小さいときから気になっている国である。なんと言っても、「ニルスの不思議な旅」のセルマ・ラーゲルレーヴの国である。

また、世界の偉人伝に収録されていたノーベル、あとは、現在のスキーの技術を作った、王者インゲマール・ステンマルクの生まれ故郷。いつかは行ってみたい国の一つとして頭の隅から離れない国である。この映画は、そのスウェーデンの監督の作品。たまたま予告編を見て、興味をそそられた。

小さいときに、有る出来事をきっかけが原因で、母と共に、捨てたはずの故郷。世界的に有名な音楽家となった主人公が、体をこわし音楽を捨て、傷心の中で、心を癒やす先として選んだのが、捨ててはずの故郷。故郷に戻って静かに暮らすはずが、音楽と縁を切ることができずに、村人との葛藤の中で、むしろ本当の音楽に目覚めていく話。

スウェーデンの冬が綺麗に描かれていた。小さい頃に読んだ「ムーミン谷の冬」を思い出してしまった。(作者のトーべー・ヤンソンはスウェーデン系のフィンランド人)世界を飛び回る音楽家の主人公が、戻った故郷は雪深い真冬の時期。物音一つしない、雪の風景が私の中のスウェーデンのイメージにマッチしていた。

しかし、その静かな村の中でおこる、様々な出来事。人間と人間との葛藤、争い。人々は傷つきながらも、寄り添いながら、いさかいを乗り越えていく。ありふれたハリウッド映画と異なり、なかなか先が予測できない。この夫婦は離婚してしまうのか?それともうまくいくのか?このカップルはどうなるのか?

現代の私たちは、何か人とふれあい傷つくのをおそれているのではないだろうか?何となく表面的なつきあいに終始し、お互いが傷つくのをおそれ、適当な距離を保ってしまっていないだろうか?心理学的に「山嵐症候群」と言うのがあるそうだが、動物の山嵐は寒いので、お互いにもっと近寄って暖まりたいのだが、あまり近づきすぎると、お互いのとげで傷ついてしまうため近づきたくても近づく事が出来ないのだそうである。そのことをたとえて、一歩踏み込んだ人間関係を作ることが出来ない症状の人を言うのだそうである。現代は、至る所に山嵐が増えてきてしまっている気がする。

現代人はもっと傷つけあえるような深い関係を結びたいのではないだろうか?しかし、この村の人々のように、共同生活の基盤を失ってしまった現代人は、深い関係を体験したことが無く、傷つくことの痛みに耐えられないような気がする。そういった意味では、北欧の田舎町にある古き良き時代の思い出話と揶揄することも出来ないわけではないが。

しかし、良い作品である。非常に地味な作品であるが。映画好きの方でなくても是非見て欲しい作品である。

2006年05月14日

漢字じゃなきゃ、ダメですか?w

たまたま、ブログを検索していて、興味あるブログを発見。インターネット検索サービスのgoogleが自社の漢字名を発表したとの記事に対する、技術屋さんのブログ
> なぜ、中国語が必要なのだろう?
> 中国人にとっては英語はポピュラーなものではないのだろうか?
> (中略)
> Googleがわざわざ中国名を考える必要があったことには興味が尽きない。
とのこと。非常に日本語の特徴を表した発想なので、目にとまってしまった。

というのも、日本語はいろいろな面で特徴を持っている言語である。その中でも、表記するときの文字の種類が多いというのも、その特徴の一つである。外国人が日本語を学習するときに障壁になるのが、その表記の種類の多さなのだそうだ。あまりぴんと来なかったが、外国人に言わせると、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」があり、非常に難しいのだそうだ。「ひらがな」だけを修得しても、ほとんどの日本の文章はまだ読むことができない、のだそうだ。


日本人は、鎌倉以降、漢字仮名交じり文という文体を完成させ、現代人はあまり意識しないで使っている。しかし、こういった複雑な表記法は、あまり世界では例がないと聞く。


今回の中国の問題だが、中国では、「表音文字」が存在しない。日本語の「ひらがな」「カタカナ」にあたる文字である。なので、外国語を輸入する際に非常に苦労している。有名な例では、「コカコーラ → 可口可楽」「ミニスカート → 迷イ尓裙(イ尓=1文字であなたを意味する、裙=スカートの意味)」。口に楽しいコカコーラ、あなたを迷わせるスカートと、言い得て妙なのである。しかし、こういったようにうまく訳せるものはいいが、必ずしもそうではない。人名などはどうしても漢字にしてしまうと、意味を持ってしまうので良いか悪いかは微妙である。ただ、その努力の結果のためか、中国の新聞などで、いわゆる「横文字(中国の新聞は横組みであるのだが)」はあまり紙面の中には多くない。それが共産党の意向であるのか、ただでさえ文盲率の低くない中国人民を意識したものであるかはよく分からないが。


PC関係の用語なども、すべて漢字に直さないと使えないのであるから大変である。台湾や香港あたりでどこかの新聞記者が音訳したものの内、最も適当なものを少し時間をおいて定着したと考えたら、北京の「人民日報」でさりげなく取り上げられて、それが、「大本営発表」となる。やはやなんとも大変である。

2006年05月13日

雨と、ナトリュームライトと、夜の高速道路

出張の関係で、都内を車で走ることになった。用事も終わり帰るために、車のエンジンを掛けたのが、すでに8時を回っていた。ナビに行き先を「自宅」と入力すると、自宅までのルートを引いてくれる。車を走らせはじめると、ナビは自動的に道路情報を受信し、渋滞を分析し、新しいルートを提案してくれる。都内を走るときナビは便利である。

高速道路の料金所を通過し、車の集団から逃れるためにアクセルを踏み込むと、水平対向のボクサーエンジンの唸りが少し高くなると、メータは150を少し上回っていた。車の流れがまばらになり、オートクルーズのスイッチを入れる。お気に入りのジャズがオーディオから流れ始めると、ゆったりとした時間が流れ始める。

高速道路を照らすナトリュームライトの黄色い光のなか、車は進んでいるのか下がっているのか分からないような、錯覚に襲われるほど、時間はゆっくりと進み始める。フロントガラスをワイパーがゆっくりと行き交う中、週末の時間は過ぎていく。

2006年05月08日

夏の匂い

なんやかんやと、GW結構休むことができた。ここ数年、職場の部署が忙しい期間であったので、お休みがとれなかった。今年は部署が変わり、どうなるかと思ったけど、結構休んでしまった。結構だらだらとまったりと過ごすことができた。

その為か今日の朝はすっきりと目が覚めることができた。耳元で、ジリジリとかすかな音がするので目が覚めた。ふと見ると、どうしたことが小さな蜂が迷い込んでいたようだ。カーテンを開け、窓を開いて蜂を逃がしてやり、早い目覚めで二度寝しようかと思ったが、何か気持ちがよかったのでそのまま起きてしまった。

窓の外には真っ青な空。空気が澄んでいて、遠くで車の音がしていた。少し出勤の準備をし、部屋から出て、深呼吸をすると、そこには夏の空気が広がっていた。もう夏がそこまで迫っている

2006年05月07日

ジョージ・クルーニー監督、Good Night,and Good Luck.

GW最終日あいにくの雨だったのだが、お陰様で仕事の予定がキャンセル。何をするかとあれこれサーチして、映画を見に行くことに。ジョージ・クルーニー監督の作品。1953年、第二次世界大戦後のアメリカを襲う、”赤狩り”に立ち上がるジャーナリズムのお話。

いわゆるノンフィクションもの、ここの所、洋画といえば派手なものしか見ていなかったので、結構新鮮に見られた。とくに、全編モノクロの画面と、各所で流れるジャズとが、なかなか雰囲気を醸し出していて好かった。結構おしゃれな感じ。

また、主人公の顔が画面いっぱいに広がり、向こうから話しかけてくるのもなかなか説得力があって良いかと。SFなどと違い、ヒューマンドラマなので人間くささが出ていて、なかなか迫ってくるものがありました。”赤狩り”の怖さなどは、戦後生まれの私にとっては知るよしもありませんが、あの”よど号乗っ取り”の犯人が、共産主義をいたく信奉していて、北朝鮮を”地上の楽園”として信じていたことなどから、その影響力の強さと、それに対して過剰なほどの反応を示してしまった、資本主義諸国の対応も分からないではありません。まあ、社会派の作品として、見ておいてよろしいかと。

この手の作品としては、ロバートレッドホードなどの監督作品があげられますが、比べると、この作品はソフィストケートされた感じが漂う作品に仕上がっています。クルーニー監督の洒脱な感じが、控えめではありますが、全編に現れてるかと。女性向けの作品かも・・・でも、ジャズは好かった、サウンドトラック注文しよう。

2006年05月05日

嗚呼、中国よ

日本にとって、近くて遠い国と呼ばれる中国。日本が国としての体をなして以来、2千年にわたり絶えず影響を受けてきた国。しかし近代に入り、欧米諸国の経済的な発展に後れを取り、ここ200年ほどは、国の政治・経済に渡り、改革に苦労している。

学生時代に少し中国のことを勉強したこともあり、私にとっても大事な国であるのだが、昨今の政治の混乱状態は目を覆うものがある。中国共産党の一党支配のもと、改革開放に力を入れてきたが、そもそも共産主義であるところからして、改革開放にも自ずから限界がある。

いくら自由化したところでいつ揺り戻しが来るのか、文化大革命・天安門事件を経験している人たちにとっては、冷や冷やものであるだろう。毛沢東主席の下で、百花斉放が華を開き、自由化への道をたどるかと見せたが、それもつかの間、反右派闘争が始まり、後には文化大革命へと続いてしまう。

現在の経済自由化も果たしてどこまで自由化の道が続くものか?大都市への富の集中は果てしない経済格差を生み、内陸部の農村・少数民族の不満は、日を追って激しいものとなっていいる。共産党は何とか北京オリンピックを成し遂げて、世界の中の一員としての地位を確保したいところであろうが。果たして、北京オリンピックが終わった後、現在の経済自由化がどうなるのか?地方の紛争は止めることは出来るのか?

私の愛する作家「老舎」に描かれた、古い北京は、改革の波の中でその原形をとどめないと聞いている。しかし、あの4千年の伝統に培われた文化は、いつかその芽を再び出すことは分かっている。したたかな中国人は、口では「共産党」と言っているが、そんなものは信じていない。政治さえ安定すれば、あの豊かな中国文化はいつか華を開く。いつの日か、老舎・聊斎志異・紅楼夢、の世界が中国を再び覆うことを夢見ながら、もう少し待ちましょう。

2006年05月04日

ThinkPadX40+1G

職場に持ち込んでここ2年ほど自宅と職場で、毎日使っていたThinkPadであったが、職場の部署が変わる事に伴い、自宅だけで使うことが多くなった。(それでも毎日持ち運んでいるのだが、ほぼ手の筋肉の訓練にしか使っていない)

もう4年目を迎えるThinkPadX40であるが、毎日使っていたので、キーボードのk・A・N・Mあたりの印刷がかすれてきてしまっていたり、裏側のゴム足の一つがとれてしまったり。まあ良い感じで時間を経ている。サポート契約(ThinkPlus拡張クーリエサービス)に入っているので、電話一本で部品は届く。ゴム足も頼んだら、すぐに届いたのだがまだ取り付けていない。(<不便じゃないのか?)そろそろ、キーボードも頼むかな?

アキバにでた折に、ついついメモリーを購入してしまった。元々のオンボードが512Mなので空きのスロットが一つ。ここは一発1Gと決まっている。適当な店で物色していたら2万円ちょっと。まあ良いかと思い買ったら、すぐに別な店では、1万円ちょっとででていたorz。まあ、アキバではよくあることとは思いながらも、1万はちょっと・・。

ここの所1週間くらい使っているが、なかなか快適。まあ何事も信じやすい私のことなので、割り引いて受け取らないとだめですが。WindowsXPとはこれくらいのメモリーがあって始めてさくさく動くのでは?と思ったくらい。もともと、ThinkPadX40はHDDが激遅なので、スワップが始まると何事も作業が滞ってしまいます。だから結構良い感じでさくさく動いています。

そのうち暇が出来たら、すこしレジストリとかいじってみるかな?

2006年05月03日

日本沈没 読みました・・・

何となく 『日本沈没』がどうしても読みたくなり、探して購入しました。(ナニゲに小松左京の本は売っていない。しかも最近の文庫本は高い・・汗)

久しぶりの小松左京でしたが、ドキドキ感は薄れていないことに感動しました。もう何十年ぶりになるのだろうか?ゆっくりと始まる物語・・・・・・。異変に気づいた田所博士・・・しかしなかなか物語は、核心に迫っていかない・・・。中心部をわざと避けて・・・じらすかのように・・・。そう・・・それは まさしく 男女の営みに似て・・・w

でもね・・・やっぱり 幼少の時の私とは 読み方が違っていましたよ・・・これを読んで科学者にでもなろうかと・・思ったあの頃とは。今の私には、この本は小松左京の政治家へのオマージュの様に映りました。ニッポンが本当の危機に陥ったときに政治家は果たしてこの本の政治家のように、危機管理をしてくれるのか?まあ危機管理とは各自でするべきもので人に頼るものではない気はするが。

現在の政治家も、先の大戦を経験していない世代。憲法修正が話題に載ってきているが、果たして彼らは国家百年の大計を任せられるのであろうか?先日後藤田正晴氏が亡くなった昨今 政治家とは何かを考えさせられた・・・